フェアプレイ
岩崎書房の屋上で、瀬崎は雪平を待っていた。
腕時計へ目を落とす。予定していた時間は早くに過ぎさっていた。
ご都合主義の筋書きにしたつもりはないが、やはり現実はスマートにはいかない。
秒針が一周するのを待って、瀬崎は時計から目を離した。
夜の風は少しばかり肌寒い。今から上着を取ってくるわけにもいかず、瀬崎はライトアップされた東京タワーへと視線を移す。
森川を殴った手が、熱を持って微かな痛みを訴えた。人間の拳というものは、人を殴る為にできていないのだ。
雪平夏見という存在を、瀬崎は以前から知っていた。
もちろんその頃の雪平は瀬崎のことなど知りはしなかっただろう。
人が殺される事件が起きる度、彼女はブラウン管を通してテレビに映し出された。
検挙率ナンバーワンの刑事。それは時にひどくアンフェアなやり方だったが、完璧ではあった。
その完璧さを持って五年前に犯人を射殺したことも知っていた。
推理小説を執筆し始めた時、瀬崎は当たり前のように、彼女を組み込んだ。
それで必要な駒が全てそろった。
今日の夕刻の時点で、四つの犯行は全て計画通りに終わった。
残るは最後の仕上げだけだった。
雪平は必ず犯人に辿りつく。
瀬崎が敷いた伏線を拾いあつめ、最後の舞台へ自らやって来る。
雪平が来ない可能性は想定していなかった。ほとんど確信に近いなにかが、瀬崎にはあった。
万が一彼女が来なくとも、もう一つの結末で終わらせてしまえばいい。
優秀な刑事を見初める前に予定していた、最高のそれを描いてしまった後ではどうしても劣ってみえてしまう。推理小説は凡作になるだけだ。
ポケットには推理小説の結末が書かれた紙がある。
そのエピローグの書き初めの一文を、瀬崎は声に出さずに反芻する。
女刑事は、犯人を撃つ。
その最後を決めたのは瀬崎ではない。
それは五年前に雪平自身が決めたルールだ。
五年前、雪平は人を殺した。
それが間違ってないことだとしても、彼女はたしかに人を殺したのだ。
だから彼女は同じことがあっても、だからこそ「迷わずすぐに」撃つだろう。
もしそれを破るようなことがあったら、雪平は壊れてしまう。
罪の意識を、信念という名目で覆い隠せなくなってしまったなら。
彼女は無意識の中、自分を守る為に必ず犯人を撃つ。
そして、瀬崎はそれを利用する。
風は強かったが、後方からの足音はやけに鮮明に聞こえた。
瀬崎は振り向かない。元々聞こえなくてもおかしくない距離だ。
「瀬崎さん」
そして舞台が幕開ける。
瀬雪は一話目の取り調べで嵌まりました。だから三話目、四話目と二度驚かされた。
このすぐ後と、彼女に宛てたエピローグは好きなシーンです。
(2006.06.11)