ステップ
安藤に待機を命じると、雪平は岩崎書房の中へと入っていった。
エレベーターに乗り込む前、途中で自動販売機をみつける。
このビルの屋上から東京タワーが見えることを思い出して、約束は破らなくてすみそうだと雪平は思った。
財布を取り出し、小銭を入れてブラックの缶コーヒー二つと交換する。
壁にかかった時計が目に入った。みんなは久留米隆一郎の家についた頃だろうか。
瀬崎一郎という存在を、雪平は少し前から話に聞いていた。
彼が自分のことを知っていたのかどうかは知らない。
雪平が瀬崎を知ったのは、理恵子からだ。
理恵子が自分のことを彼に話していたとすれば、瀬崎も知っていたことになる。
しかし始めて会った時の態度からして、知らないと称するのが妥当だろう。
瀬崎は理恵子の働いていた会社の上司だった。
彼女は瀬崎のことを尊敬していて、そんな彼のことをよく話してくれた。言葉の端に好意を見つけることさえできた。
そんな理恵子の言葉が、雪平が本人に出会う前から知っていた瀬崎の全てだった。
理恵子はもういない。
推測が正しければ、瀬崎が彼女を殺したのだ。彼が書いた小説の「愛する者」として。
なぜこんなことを始めたのか。
雪平にはどんな答えも思いつかない。
だからその問いは瀬崎に直接ぶつけてやればいい。
エレベーターが彼の働いている階に辿りつく。
雪平は編集室に顔出した。
編集室は時間帯のせいか、始めてここへ来た時とは違って閑散としていた。何人かの社員がいるだけで、その中に見知った彼は見つからない。
心当たりはもう一つあったので、特に落胆もせずに体をひるがえす。
目指すは最上階のその上。どのみち二人でコーヒーを飲みに上がるつもりだった。そこにいるのなら逆に好都合だ。
今度はエレベーターを使わなかった。屋上までの直通のものはないし、なによりそこへ向かって歩いていくという時間が欲しかった。
雪平は二つの缶コーヒーを握り締める。
そして屋上への最後の階段を見上げた。その向こうには瀬崎がいるだろう。
その行為が全ての終わりを告げるのだと知りながら。
その終わりが予期していたものよりずっと苦いものだと知らずに。
終わりへの舞台へ踏み出した。
雪平視点。交差しないんだけれどね。ストーリーも想いも。
ちなみに雪平は自分が有名人だということを自覚していないといい。
(2006.06.11)